『何もかも憂鬱な夜に』

何もかも憂鬱な夜ではないのだけれども、言葉を書くことに飢えているような気がしたので、ブログでも開設してみた。

こんな風に、言葉を書かなくては過ごせないような夜が時々やってくるけれども、いつもではない。

お笑いを見ることで辛うじて生き延びる夜もあるし、気がつけば朝を迎えているような夜もある。

そうした夜の一つに『何もかも憂鬱な夜に』を読む夜がある。

 

私の命は、美しいものを美しいと思う権利が本当にあるんだろうか。

私の命は、本当に奇跡の賜物だろうか。

 

私たちは、少なくとも私は、何度もこの本を読み返しては、何度も不思議に思うだろう。

そしてそれらが「どうやら本当らしい」と思うにつけて、嵐が急に凪ぐように、突然救われる。

 

最後の数ページだけが名言集のようにして取り上げられることがあるけれども、恐らくそれはこの本の正しい読み方ではない。

あの数ページに至るまでの何百ページを主人公と一緒に歩むことが重要なのだ。

 

中村文則氏の精神力と文才に敬意を。

 

 

はてなブログ重すぎてタイピングスピードに全然ついてこない。